レクセリア建国記 第12話 『変異種戦 後編』
シルフィは強化の杖(セミ・エリキシィワンド)を両手で掲げて詠唱を行う。
「ヴィーザル・クシオ・レド・ニンダール・スコルビー、
氷嵐を身に纏いたり、氷の巨人よ、その息吹で氷雪の刃を作らん、
氷槍陣(フロスト・リベージョン)」
詠唱を終えると杖の先に冷気が急速に集まり収束していく。氷槍陣(フロスト・リベージョン)はシルフィが習得している最大の攻撃魔法。シルフィの額に汗が浮かんでおり、体の各所に過負荷が掛かっているのが判る。技量不足で本来の威力より抑えたものだが、それでも体にかかる負荷が大きい。
(ロイの奮闘に報いる意味でも失敗できないっ)
シルフィは自分を奮い起たせて、杖の先に収束し終えた魔力の塊を裂奇蟹(リッパークラブ)に向かって発動させた。
「くぅうぅぅぅ……」
体に全体に掛かる大きな負荷にシルフィは耐えつつ、
力を振り絞って言う。
「ロイっ!」
「判った」
シルフィの警告に従ってロイは隙が出来るのを承知で裂奇蟹(リッパークラブ)から距離をとる。裂奇蟹(リッパークラブ)は追撃に移ろうとしたが、その直後に起こった急激な温度低下に驚いて、追撃のタイミングを逃す。
裂奇蟹(リッパークラブ)の足元に周囲の水が集まった刹那、「ピシッ」と鳴った氷結音が始まりだった。集まった水分が、氷槍と言うに相応しい鋭い氷の氷柱となる。その数3本。それが樹霊根荊刺(ドゥーンディラ)を上回る猛烈な勢いで真下から裂奇蟹(リッパークラブ)に向かう。シルフィによって作られた氷槍が下腹部の甲羅と左鋏脚の付け根に刺さる。陸大蟹(リバークラブ)より優れた直接防御力と魔法抵抗力で耐え凌ごうとしたが、氷槍陣(フロスト・リベージョン)の威力を抑えきる事は出来なかった。
しかし、厚く硬い甲羅によって氷槍の勢いは続かず、
致命傷に届かない場所で止まってしまう。
「やっぱり倒しきれなかった…でも!」
シルフィは倒しきれなかった事に落胆はしていない。何しろ、氷槍陣(フロスト・リベージョン)の本当に恐ろしいところは込められた冷気と氷にあった。水は凍ると水素結合の形成によって水分子の配列が規則正しい構造となり、水素結合に囲まれた部分に隙間が出来できるのだ。つまり凍結膨張で生じた膨張圧によって、直撃した部位の防御力の低下が見込める。それに魔法抵抗の如何によっては凍傷も期待できる。更には実体化して標的を貫いている氷槍は、それだけでも動きを阻害する要因になるのだ。
裂奇蟹(リッパークラブ)は凍傷になる事はなかったが、様子からして小さくはないダメージを与えたのは確かだった。しかし、まだまだ油断が出来る状態ではない。現に裂奇蟹(リッパークラブ)は、痛みに怒り狂いながらも無事だった右鋏脚で、己の体に刺さって動きを封じる氷槍を砕こうとしていた。
「イリスっ、右鋏脚の付け根だ!」
ロイの言葉にイリスは魔力練成中なので返事の変わりに頷く。
裂奇蟹(リッパークラブ)が行動を終える前に魔力練成を終えたイリスの魔法詠唱が始まった。それと同時にシルフィも次の魔法詠唱の準備に入る。ただし、今回は魔力練成を行わない通常のものだ。
「ディーロフ・ザイン・ルーシス・パルティオン、
大気に漂うマナよ、誓約に従い風となれ!
空裂(ヴェイン)!」
イリスの詠唱の始まりと共に集まっていた風が収束して杖の先から放たれる。空裂(ヴェイン)は圧縮魔力が拡散する際に発生する衝撃波によって攻撃する魔法。空裂(ヴェイン)が裂奇蟹(リッパークラブ)の右鋏脚の間接部に辺り直撃した。付け根から若干外れていたが、衝撃波によって間接部分を守る部位の甲羅に亀裂が入る。
(あの箇所なら俺の攻撃でも通るか?
やるしかない。予想外の敵との戦闘は思った以上に負担が大きい。
これ以上長引くと危なくなる)
呼吸を乱し始めていたイリスとシルフィの消耗は隠し様もなかったし、ロイ自身もそろそろ体力的にもきついものがあったのだ。命のやり取りが関わる緊張に満ちた時間は、予想以上に消耗させる。厳しい模擬戦を受けていたとはいえ、やはり命のやり取りとの違いをロイは身を持って理解した。
ロイは戦闘を可能な限り早く終わらせるべく、
裂奇蟹(リッパークラブ)の右鋏脚の間接部に生じた亀裂に注目し、
それを活用した攻撃のプロセスを素早く組み立てる。
「食らえっ」
ロイは剣を構えて裂奇蟹(リッパークラブ)に向かう。全身の力を込めて跳躍し、亀裂が生じた右鋏脚に向けて剣を振り下ろす。亀裂箇所に剣が食い込み、剣を起点として甲羅が割れた。その威力はイリスの魔力付与術(エンチャント・ウェポン)によって底上げされていたものとはいえ、縦斬撃(ストライプ)に近いものに達していたのだ。剣はそのまま内部へと進み右鋏脚を間接部から両断するまで進む。
裂奇蟹(リッパークラブ)は怒りと痛みから、反撃を試みるが左鋏脚の付け根には氷槍が食い込んでおり動かすことが出来ない。
裂奇蟹(リッパークラブ)は怒りに身を任せて、体を動かしてその氷槍を壊そうとする。
ロイはもう一撃を行う余裕があったが、第二撃を放つことなく距離を置く。その理由は魔法詠唱が耳に入ったので、その魔法の射線を塞がない様にする為だった。
ロイが下がったのを確認したシルフィが詠唱を終えていた魔法を解き放つ。
「ボクの残り魔力っ、全部持ってけ〜!」
シルフィの空裂(ヴェイン)のタイミングはきわどいもので、裂奇蟹(リッパークラブ)の動きを封じていた氷槍が壊れるその直前に放たれる。満足な防御行動が取れない裂奇蟹(リッパークラブ)の頭胸部―――――感覚器や摂食器官などが集まる部位―――――に直撃した。衝撃波によって甲羅の一部が砕けて内側に収められていた器官の一部が四散する。シルフィが当てた同じ場所にイリスの空裂(ヴェイン)が続く。その甲斐もあって、甲羅が割れて柔らかい内部が剥き出しになる。
シルフィが残り魔力の全てを空裂(ヴェイン)に注いだ理由は、氷槍陣(フロスト・リベージョン)を唱える分の魔力が無かった事と、ロイの回避が限界に近いことを見抜いていたからだ。何しろ前衛が倒れてしまえば詠唱を行っている間に攻撃を受けてしまう。熟練者のように無詠唱魔法や近接戦を行いながらの詠唱はシルフィには出来ないし、当然イリスも無理だった。これらを考慮した決断だった。
裂奇蟹(リッパークラブ)の下腹部と左鋏脚の付け根に刺さっていた氷槍が砕けるが、その直前にロイは行動に移っている。
「食らえっ」
ロイは身を低く屈めて突進し、その勢いを保ったままイリスとシルフィの空裂(ヴェイン)によって内部がむき出しになった頭胸部に体重を乗せて剣を突き立てる。
「うぉおおおおおおおおっ」
生々しい感触が伝わってくるが、ロイは足に力を込めてそのまま中へとブロードソードを押し込む。致命傷に至ろうとする一撃に、その激痛から裂奇蟹(リッパークラブ)の脚が激しく動くがロイは離れない。ロイは左鋏脚からの打撃を右肩に食らうも踏みとどまる。度重なる打撃で裂奇蟹(リッパークラブ)の攻撃力が落ちていた事が幸いし、ロイが受けた攻撃は打撲に収まる程度に済んでいた。
「これでっ終わりだっ!」
と、叫ぶとロイは突き刺していた剣に力を込めて捻ってから素早く手前に引抜く。その傷は致命傷になり、裂奇蟹(リッパークラブ)の動きが鈍っていく。何度か痙攣を繰り返してから完全に動きを止めた。
「生命感知(センスライフ)の反応から消えたよ」
ロイはもう一撃を加えるべきか構えていたが、
シルフィの言葉に安堵したように息を吐いて緊張を解く。
「…ふう…終わった…ようだな。
二人とも大丈夫か?」
「ロイの方こそ傷は大丈夫?」
「多少痛みは残っているけど大丈夫だ」
ロイの言葉にイリスとシルフィが異口同音に「よかった」と安堵した。
「はふぅ〜、
ここまで魔力を使ったのは久しぶりだね」
「同じく…すごく眠いや」
二人が言うように、イリスとシルフィは杖に寄りかかるようにしてなんとか身体を支える状態だ。魔力枯渇状態で疲弊が激しい。ロイも肩を上げ下げして呼吸をする位に疲れていた。何とか押さえ込んでいた疲労が緊張感の途切れと共に一気に湧き出てきたのだ。
シルフィが何かを思い出す。
「そうだ。
討伐の証拠を回収する際にだけど、
状態の良い裂奇蟹(リッパークラブ)の鋏脚もせっかくだから回収しておこうよ」
「なんで?」
「変異種の部位は秘薬や武具の素材として重宝されるんだ。
裂奇蟹(リッパークラブ)だと鋏脚の甲羅部分が防具の素材だったかな?」
シルフィがイリスに行った説明の様子は、
少し年上の姉が妹に教えを行う雰囲気が感じられた。
「判った。
討伐の証拠と鋏脚の回収は俺が行うので、
二人は休んで少しでも魔力の回復に専念してくれ」
「ありがとう」
「うん、そうさせてもらう」
ロイは辺りの安全確認を行ってから、イリスとシルフィの二人を川のほとりで休ませて自らは討伐の証拠の回収を行う。証拠になるのは触角である。陸大蟹(リバークラブ)の触角は極めて短く小さいので持ち運びに適しており、討伐の証拠としてうってつけだった。 ロイはついでとばかりに裂奇蟹(リッパークラブ)の触覚も回収し、シルフィの要望通りに状態の良い右鋏脚の回収も行う。右鋏脚は硬かったが、見て目に反して極めて軽いので意外と持ち運びが行えるものなのだ。もちろん軽量化と腐敗対策の一環として右鋏脚の切断面からナイフを用いて中身の摘出を行うのを忘れない。ロイは山で行う狩などで動物の解体を経験しているので、この手の作業は慣れたものだ。
30分程で、それらの作業を終えるとロイはイリスとシルフィの元へと向かう。イリスとシルフィの二人は仲の良い姉妹のような雰囲気で、木陰の下で木を背にして休息していた。
「おっ? イリスは寝ちゃったのか」
ロイが言うようにシルフィの肩に寄りかかるようにしてイリスは寝ていたのだ。
「無理も無いよ。
予想外の変異種との戦闘で魔力は空っぽだし」
「そうだな。
俺もかなり疲れた…
正直なところ風呂に入って寝たい気分だ」
「私もだよ」
気持ちの良い風が吹いて穏やかな時間が流れる。シルフィは三人で依頼を成し遂げた満足感で心がいっぱいだ。ロイも同じ心境である。シルフィもロイが来た事に安堵したのか、魔力不足からくる疲れに負けて直ぐにうつらうつらとして、直ぐに穏やかな表情で寝息を立てる様子へと変わった。ロイの頬が優しげに緩むと、背負っている背嚢から毛布を取り出して二人の体が冷えすぎないようにそっと二人の肩からかけて、しばらく休ませることにしたのだ。
この様子から三人の間にある信頼の強さが判る。この穏やかな時間は、それから30分ほどして二人が目を覚ますまで続くことになる。
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【あとがき】
初の変異種戦も無事に終えたロイ一行。実のところ、裂奇蟹(リッパークラブ)はリリシアやアンドラスだと一瞬で倒してしまう程度のモンスターだったりしますが、やはり冒険者として歩み始めたばかりのロイたちにとっては強敵でしたね。
しばらくは、このように冒険者らしい話になる予定です。
フローラを使った交易なども交えるかもしれませんが(汗)
意見、ご感想を心よりお待ちしております。
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