レクセリア建国記 第10話 『序章 10』
マティエ王国ヴァイセンフェルス領南部に属する"ロヴェーシの森"には青々と茂る豊かな原生林が広がっていた。木の葉の隙間から太陽の日差しが漏れ、地面に投影された木漏れ日が柔らかな雰囲気を出している。木の葉が風によってさわさわと擦れる音が心地よい。鳥の鳴き声も、それらの音と調和し、豊かな自然を森全体で表現しているようだ。
「情報が正しければ、
陸大蟹(リバークラブ)が出没する地点まであと少しか」
地図を片手に持ちながら先頭を歩く、
ロイの言葉にイリスとシルフィの二人が可愛い声で返事をする。
彼らの中にはリリシアの姿は無かった。リリシアは三人の力で依頼を完遂するように言い聞かせていたからである。確かに実力者のリリシアが協力したら経験にすらならないだろう。手を出さなくてもリリシアが見ているだけでも、その安心感から緊張感に欠けてしまう。リリシアは三人を大事に想ってはいたが、不必要な過保護は行わないのが彼女の方針だ。
ロイとシルフィにはそれが分かっていたので納得している。
イリスは義姉が討伐の助力は行わなくても、自分たちの事を見ていてくれるものだと思っていただけに少し落胆したが、すぐに気持ちを切り替えて張り切っていた。イリスもなんとなく義姉の意図も理解したのと、義姉に次いで大好きなロイとシルフィが一緒に行動していたことが、彼女の心の大きな支えとして働いていたのだ。
真新しいレザーアーマーを着込んだロイを先頭に、
時々会話を交わしながら三人が歩く。
決して歩きやすい道のりではなかったが、三人とも冒険者として動けるように基本的な鍛錬を行っていたので足取りに疲れは見られない。それに歩行に関する筋肉の使い方が一般的な冒険者よりも優れていた。これはアンドラスが教えたものである。
ロイを先頭に一行は森を抜けて、
落差のある野原に出た。
低地には綺麗な水の流れる清流が目に付く。
川岸の所々には大人の背丈まである草が一面に生い茂っていた。
視界の先に流れる川はルゼア村の住民にとって重要な栄養源である川魚を提供する川であり、彼らの生活には欠かせない存在である。村の自警団が討伐を試みたものの、農耕具やナイフ等では陸大蟹(リバークラブ)の固い甲羅を貫けず、逆に陸大蟹(リバークラブ)の反撃によって逆に死者を出していた。下手に放置して、陸大蟹(リバークラブ)に住み着かれたり、巣が作られてしまっては生活に重大な支障が出てしまうので、ルゼア村は取引先のレイナード商会に陳情していたのだ。そして、ルゼア村から薬草を購入しているレイナード商会がそれに応じたのが今回の依頼のあらましだった。
「依頼は4体の陸大蟹(リバークラブ)の退治かぁ
複数のグループに分かれている可能性があるのが面倒だね」
「まぁな。
…万が一を考えて4体以上と考えて行動しよう」
ロイの言葉に二人が賛成と応じる。
依頼情報が必ずしも正しいとは限らないからだ。
数が少し違う位は珍しくはない。
シルフィが辺りを見渡しながら口を開く。
「この先の川岸一帯がルゼア村で聞いた出没地域だよ」
「そうだな。
二人とも魔力は大丈夫か?」
「うんっ、ばっちり!」
「私も問題なしっ。
イリスと同じで何時でも行けるよ〜」
元気良く応じたイリスの仕草には美しさよりも可愛らしさが感じられ、シルフィは可愛らしさと美しさが交わったものだ。言葉にロイは判ったと応じると、腰に帯剣したブロードソードを抜く。イリスは魔力を練りながら手に持つ、理解の杖(コンパートワンド)を握りしめて、直ぐに詠唱に移れるように体内の魔力を活性化させる。理解の杖(コンパートワンド)は、僅かにだが魔力操作の補助能力を有しており、まだまだ未熟なイリスを補助していた。シルフィが持つ杖は、純然たる魔法攻撃力を少しだけ底上げする強化の杖(セミ・エリキシィワンド)である。
シルフィが大雑把な位置を探る生命感知(センスライフ)の魔法を唱え終えると、各々の武器を構えてロイを先頭に川岸一帯に広がる生い茂る草むらに入っていく。
シルフィが使用している生命感知(センスライフ)は大型犬サイズ以上の生命体を探知するのに使われる魔法だ。妨害がかけられてない場合は術者の技量と消費魔力に応じた分で範囲と精度が変わる。今のシルフィでは近距離の探知が精々だったが、それでもこのような討伐対象を探索する場合では重宝していた。イリスに比べて魔力量の多いシルフィであったが、流石に広範囲では探知を続けられない。このような使い方でも、少なくとも奇襲を受ける心配と、見落としの危険性がぐっと減る。
「視界が良くないから、
囲まれないように気をつけないと」
シルフィが懸念を小さな声で言う。
ロイが頷き、イリスが続く様に小声で言う。
「そろそろ出会っても良い頃だよね…」
陸大蟹(リバークラブ)が住み着く地形には、必ずと言って良いほどに彼らが隠れるのに適した樹木か植物があった。ロイ一行は正に、陸大蟹(リバークラブ)といつ遭遇してもおかしくは無い場所に居たのだ。急な遭遇を考慮すれば油断は出来ない。
「感あり…近くに反応が三つ、
こっちに向かってきてる」
シルフィの言葉にロイは左腕に装備している鉄と木材を組み合わせたライトシールドで体を庇う様にして遭遇に備える。
シルフィの警告どおり、近くの草が不自然に揺れると同時に草むらから3体の陸大蟹(リバークラブ)が順次飛び出してきた。
「威嚇を抜きにいきなり突っ込んでくるのか!?
シルフィっ! 手順は狂ったが手筈どおりに進める」
ロイが言うように陸大蟹(リバークラブ)は敵と遭遇したら鋏脚で威嚇を行うのが普通である。ロイたちの計画では陸大蟹(リバークラブ)の特性を利用し、威嚇を行っている間にシルフィとイリスが魔法によって数を減らす予定だった。
手順は狂ったがやる事は変わらない。
ロイの声にシルフィは「はい!」と応じ、
呪文詠唱を始める前段階である魔力の構成を始める。
「でぇい!」
先頭の陸大蟹(リバークラブ)に対してロイはブロードソードを斜め上から振り下ろす。固い音と共にブロードソードが甲羅に弾かれる。剣と甲羅がぶつかった際の衝撃がブロードソードの刃から、柄を握るロイの手に伝わり、眉のあたりにしわが寄った。だが、その効果もあって先頭の陸大蟹(リバークラブ)は動きを止め、後ろに続く2匹も警戒から動きを鈍らせる。知能が低い陸大蟹(リバークラブ)とはいえ、攻撃を受ければ判断するぐらいの知恵は備わっていたのだ。
ロイたちの場所から離れた川に面した草むらが揺れた。
その直後に、その周辺の草むらに居た野鳥の群れが飛びだって行く。
シルフィの生命感知(センスライフ)の探知圏外だったが、
野鳥の様子からして残る陸大蟹(リバークラブ)の可能性が高い。
「これは各個撃破の好機だ。
まずは目の前の敵を叩くぞ」
と、言いながらロイは陸大蟹(リバークラブ)の注意を引くように牽制攻撃を続けていく。シルフィも焦ることなく魔力を練り始める。当初の予定が狂ったにもかかわらず、ロイが冷静だったのはアンドラスとの模擬戦を受けていた経験が大きい。控えめながらも殺気を込めたアンドラスが放つ圧力は並みのレベルではなかった。それは陸大蟹(リバークラブ)の存在が空気と思えるほど。また、ロイと同じように落ち着いていたシルフィも過去に似たような模擬戦を受けていたのだ。
より大きな緊張と圧力を受けながらの模擬戦という、
宝石より貴重な経験によってロイは表面上は焦ることなく、
陸大蟹(リバークラブ)の攻撃を受け流す。
緊張気味だったイリスもロイの言葉とその身を持って陸大蟹(リバークラブ)の前に立つ姿を見て落ち着きを取り戻した。イリスも急いで魔力を練り始める。
ロイの牽制攻撃の合間にシルフィによる詠唱が始まった。
シルフィから漏れる魔力によって法衣が靡く。
「ドリュアス・イヴリン・トゥー・レウス…
森に宿りし精霊の花嫁よ、樹木の守護者たる力を用いて、敵を討て、
樹霊根荊刺(ドゥーンディラ)」
シルフィは自然を利用した魔法を得意とするドルイド(精霊術士)が得意とする魔法を使っていたが本職は違う。
シルフィは力ある言葉を紡ぎ終えると、
発動地点に対して杖を「やっ」と振りかざした。
杖の先端が指す陸大蟹(リバークラブ)の足元の土が盛り上がり、
割れた地面の隙間から樹木の根が鋭く飛び出す。
ロイに攻撃を行おうとした陸大蟹(リバークラブ)は足元からの攻撃による回避が間に合わず根に貫かれて重傷を負う。近くに居た別の陸大蟹(リバークラブ)も2本の根に貫かれて痙攣を繰り返していた。陸大蟹(リバークラブ)は甲羅は硬くとも、地面に近い腹の部分が柔らかい。 重症を負った陸大蟹(リバークラブ)の動きは目に見えて鈍くなる。
樹霊根荊刺(ドゥーンディラ)は使用可能な場所が限られていたが、植物を媒体として発動する魔法なので魔力消費が少なくて済むのが利点だった。
シルフィの牽制攻撃の次にイリスの詠唱が始まる。
「あまねし存在するマナよ、武器に宿りて輝きを増せ、
魔力付与術(エンチャント・ウェポン)」
詠唱に伴って活性化した魔力により、イリスが纏うローブが緩やかに靡く。
イリスはロイが握るブロードソードに対して、
魔力が宿るイメージを行う。
魔力付与術は継続時間が長く、使い勝手の良い支援魔法の一つである。
戦いの前に付与しなかったのは、イリスの実力では継続時間が短いのが理由である。
「よしっ」
魔法付与を受けるとロイは右から回り込んできた陸大蟹(リバークラブ)を見据えて牽制攻撃を行いながら、シルフィの魔法で深手を負った陸大蟹(リバークラブ)との立ち位置を意識する事で挟み撃ちを避ける。負傷による移動速度の差を利用した足の運び方で、もう片方の陸大蟹(リバークラブ)を巧みに戦闘に参加させない。
無傷の陸大蟹(リバークラブ)から突き出された鋏脚をブロードソードで弾く。鋏脚で攻撃を行う構造上の制限から、攻撃を行う前には大きく振りかざす必要があったので、備えていれば避けるのは難しくはなかった。
もう片方の鋏脚からの攻撃が繰り出される。
連続攻撃を予想していたロイは最小の動きで回避し、
鋏脚の間接部に向けて剣を振り下ろす。
ロイの攻撃は鋏脚を切断し、陸大蟹(リバークラブ)はその苦痛に怯む。大きな隙を見せた陸大蟹(リバークラブ)に対してロイは追撃を放つ。「食らぇ!」と叫びながら、剣先を陸大蟹(リバークラブ)の頭胸部へと向けて全力を込めて前へ押し出す。
先ほどは剣を弾いた甲羅だったが、魔力付与術(エンチャント・ウェポン)によって甲羅に溜め込んだマナを中和し、その剣先が頭胸部を守る甲羅へと突き刺さった。
ロイは、そのまま体を押し出すように剣先を押し込む。
それは刃が当たる瞬間にもっとも力を込める実戦的な攻撃だった。
体重をかけて突き刺したブロードソードを勢いよく引き抜くと、陸大蟹(リバークラブ)は口から泡を吐いて痙攣し始める。様子からして致命傷なのが伺えた。ロイは手傷を負った陸大蟹(リバークラブ)への攻撃を始め、数回の攻防で致命傷を与えた。魔力付与術(エンチャント・ウェポン)を受けたロイにとって、動きの鈍った陸大蟹(リバークラブ)はさほど梃子摺るものではなかったのだ。
「ふう…」
ロイがそう言うとブロードソードに付いた陸大蟹(リバークラブ)の体液を払う。
好調な滑り出しにも関わらず、シルフィは何か違和感を感じる。
(そもそも陸大蟹(リバークラブ)は何で別々に行動してんだろう?
雑食性だから別々に餌を探していたのかな…?
違うそれじゃ説明が付かない!)
シルフィは自分の考えを即座に否定した。
この辺りは肥沃なので雑食性ならば食料に困るような場所でないからだ。
何か見落としてないか状況を振り返る。
(いけない、ボクッたら先入観に囚われてる。
自分たちが討伐に赴いた現状から離れて考えないと…)
良い領主となるために広い視野と高い分析能力を持つように教育されたシルフィらしい考えだった。シルフィは公平な視点から周辺の状況を見直す。
(野鳥の反応からして暫く通ってない場所を何かが通過してるのは確かだけど、
私たちはそれを討伐に来た主観から陸大蟹(リバークラブ)と決め付けていた!
あの3体の陸大蟹(リバークラブ)は襲ってきたのではなく、
何かから逃げていた途中だったら…
陸大蟹(リバークラブ)が威嚇を行わなかった理由に説明が付く)
シルフィは陸大蟹(リバークラブ)が複数のグループに分かれて行動していたのではなく、先ほどの陸大蟹(リバークラブ)が、陸大蟹(リバークラブ)に似た何かから逃げ回っていたのではないかと考えた。その根拠は昔に読んだ文献の中で、陸大蟹(リバークラブ)は他のモンスターの食料になっている事と、その甲羅を特に好む珍しいモンスターの存在である。
「ロイ、気をつけて!
嫌な予感がする」
シルフィが意味も無く警告しないと知っているロイは
自らが使える唯一の強化魔法の詠唱を始めた。
「レイア・ティリス・フォル・フィルビー、
身体強化(エニシス)」
詠唱を終えるとロイの身体能力が僅かながら上昇する。一定の技量を超えた魔法剣士(ルーンフェンサー)では無意識に展開する魔法だったが、見習い剣士に過ぎないロイの技量では詠唱を行わなければ使えないし、彼の魔力量では二日に一度しか唱えることが出来ないもの。
ロイが身体強化魔法を唱え終えたその直後、
シルフィが何かを探知する。
「左側から反応がひとつ、
感覚は陸大蟹(リバークラブ)に似てるけど…
生命力はより大きいっ。 変異種かもしれないよ」
野鳥が飛びだったが側からの反応であった。
ロイは警戒しながら待つ。
「陸大蟹(リバークラブ)じゃっない…
鋏脚が黒いあれって!」
「裂奇蟹(リッパークラブ)だね」
博学のシルフィが視界に視界に収めるモンスターを見て断定した。
ロイも自分たちの状況を理解する。
「どうやら村人は変異種と陸大蟹(リバークラブ)を混同していたようだな」
裂奇蟹(リッパークラブ)は鋏脚を除けば陸大蟹(リバークラブ)と姿が似ており、知らない人が見れば混同してしまう。このような事は冒険者ギルドにもたらされる情報で稀に起こるもの。幸いにもロイたちは4体以上の陸大蟹(リバークラブ)を視野に入れていたので余力があった。これがぎりぎり討伐可能な力量のメンバーだったら悲惨な出来事になっていたに違いない。
裂奇蟹(リッパークラブ)は黒く染まった鋏脚でロイたちに威嚇を始めた。
その様子を見てロイはシルフィに言う。
「…今の俺たちで倒せるか?」
「攻撃方法と特徴は陸大蟹(リバークラブ)と一緒。
ただ…陸大蟹(リバークラブ)より断然しぶといよ」
裂奇蟹(リッパークラブ)は陸大蟹(リバークラブ)の突然変異型であり、陸大蟹(リバークラブ)と比べて筋力、甲羅の硬さ、生命力に加えて凶暴性も増している。最大の特徴が陸大蟹(リバークラブ)も捕食する点と、肉よりも体液と魔力が蓄積された甲羅を好む事だろう。救いといえば素早さと知能があまり変わらない事だ。
ロイは変異種という予想外の敵に緊張してブロードソードを握る手に力が篭った。
どうするか思考を巡らす。
(俺とシルフィなら逃げ切れるだろうが、
この悪路では体力の劣るイリスを危険に曝す危険性が高いだろうな)
ロイの頭の中にアンドラスの教えがよぎる。
『いいかロイ。モンスターとの戦いはシンプルだ。
極論を言えば殺すか殺されるに絞れるものよ。
そして局面において悪手を打てばその代償は大きいものになる…
だからこそ後悔が無いように考え抜いて上で最善を尽くせ』
(逃走は最善とは言い難いな。
第一これがあの村に向かったら不味いし。
リスクを考えるならここで倒すしかないな…)
ロイは不確定要素の高い逃走を選択肢から除外し、
シルフィとルゼア村の安全を考えて戦うことを選択した。
警戒しつつ二人に言葉をかける。
「ここで倒すぞ。二人は魔法で攻撃してくれ。
詠唱の時間は俺が稼ぐ」
ロイはそう言うと剣を構えて裂奇蟹(リッパークラブ)の攻撃に備えた。
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【あとがき】
ようやく冒険らしくなりました(汗)
意見、ご感想を心よりお待ちしております。
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