レンフォール戦記 序章 第06話 『急転』
女王の執務室にてリリシアは得られた範囲での情報を、母リリスに対して的確にまとめて説明を行っていた。
「……以上の事から、戦争勃発の危険性が考えられます」
「判ったわ…これで説明が付くわ」
「どういう事ですか?」
「南方諸国各所に放っていた使い魔(ファミリア)の幾つかが不審な魔力の揺らぎを捉えたわ。
最初の観測は1ヶ月前…
当然だけど、送信内容は処理能力に限りの有る使い魔では解析できなかったわ
先日も観測し、大まかな波長から超長距離魔法通信というのは判ったけど…問題は…」
「目的が判らない」
「ええ…不審な魔力波の発信源の何箇所かが、貴方から報告を受けた活性化が著しい荷役所と重なっています」
「送信先は?」
「海の向こう…間違いなく南方諸国内では無いわね」
リリスの返答にリリシアは相手の実力を大まかに把握した。
「距離からして送信者は…魔王眷属級か、それに準じていますね」
「ええ…最初は眷属のお忍び観光と思ったけど…
貴方の報告で南方諸国外の介入の可能性が出てきました。
リリシア…ここまでくれば、杞憂で片付けるには危険すぎます」
「そうなると、列強の関与の可能性も出てきますね…」
「貴方の判断は間違っていません。
戦いが起これば、前哨戦は代理戦争になりますね…」
「では…」
「状況の変化があり次第、貴方の判断において出師準備計画を行うことを許可します」
受け答えするリリスには普段の軽い面影などは無かった。
無益な戦争は好まないが、降りかかる火の粉は払わなければ為らない。南方諸国が平和であってこそ、レンフォール王国が栄える事をリリスは熟知してたのだ。
出師準備計画とは、出師準備のための計画の事を指す。
戦争勃発に対処して全軍を迅速に戦時状態に移行させ、戦争期間中、作戦行動に支障が出ないようにするため、平時から戦闘部隊、後方支援部隊などの配備手順、器材準備、人員の充実補充・練成教育、兵器軍需品・燃料・衣類・治療品などの充実補給、運輸の方法などについて細部計画を定めて、必要な準備をすすめておく計画である。
もちろんゼロから作るのではない。
リリスやリリシアは非常時に備えて、普段から様々なケースを想定した計画を立てて準備しているのだ。戦争が近くなったり、災害が発生したような場合は、かねてから用意していた計画書を、その時の状況に適合せて作り直すのだ。
ともあれ、出師準備計画とは
事実上の戦争準備宣言であった。
これの発動の遅れは、初動対応の遅れにつながり、場合によっては戦略的にすら致命的な損失になるのだ。
その、出師準備計画の元で動き出す、レンフォール王国軍は常備軍を主戦力にしている。
常備軍は同数ならば徴兵軍には負けはしない。士気や兵士の練度の高さからして違うのだ。また、他国と比べて夢魔族の存在もあって魔法戦力が充実しており、これがレンフォール軍の強さの秘密であった。
しかし、現在のレンフォール軍の常備軍総兵力は4500人
これは常備軍としては大きい数字ではあるが、大国が動員してくる
最終的な動員兵力には及ばない。消耗戦になれば最終的な敗北は避けられないであろう。
一度消耗してしまえば、徴兵軍となんら変わりは無い。
そして、国内治安維持の為にも兵力は必要であり、すべての兵数を戦場へ差し向けることも出来ない。有事の際には更に国家経済の影響が出ない程度の徴兵が行われる予定だが、後方の治安維持にしか使いようが無いであろう。
リリスは自分達の現状をよく理解していた。
戦争になれば、使える手札が限定されることを…
「南方諸国連合の実現……急がなければならないわ」
「アリシアには、この事を伝えますか?」
「まだ早いわ…
王族とはいえ、戦うのは大人の務めよ。子供が戦う国に未来はないわ…
状況がはっきりするまで伏せておきなさい」
「安心しました」
リリシアは安堵の表情を浮かべた。リリシアもリリスと同じように、太陽の様な眩しい笑みをして、母性本能をくすぶる愛らしいアリシアを溺愛しているのだ。レンフォール王国国民の間ではマスコット的な存在であり、更にファンクラブすらあるのだ。
「今の内容を知ってしまったら、アリシアなら無理をしてでも成人の儀を受けるでしょうね…
それにアリシアは儀を受けられる状態になったとはいえ、年齢的に成人には程遠いわ。
私はね、貴方の時と同じように、アリシアに成人の儀を催促しているのは、私と同じように子供を授かる幸せを知って欲しいだけ。
それに、成人の儀は生命を司る神聖な行いよ…アルマ教の見地からしても戦争に参加する為に儀を受けて欲しくないわ」
「お母様……ありがとう…」
リリシアは嬉しかった。
アリシアを思いやる台詞には自分に向けられた物もあったからだ。
夢魔族において、基本的に成人に達していない者が戦争に参加する事を強く禁じている。
魔力構成能力が不十分な子供を戦場に出ても高が知れているからだ。夢魔族にとって子供は宝であり、次代に繋ぐ希望であるからだ。何をもってしてでも守らなければ為らない。無益に失ってはならないのだ。
リリスの表情はとても寂しそうだった。
どのような戦いを行っても武力衝突には犠牲が伴う。
要約勝ち取った平和の終焉を予見していたのかもしれない。
そして決断した。
「リリシア、明日から3日で良いわ…私の影武者を勤めなさい」
「まさか…」
「ええ、調べ物と掃除です……」
リリシアの問いかけに対して淡々と応えたリリスであったが、その表情は真剣そのものであった。底冷えするような瞳には強い意志が感じられた。
リリシアの推測通り、リリスは連絡役の眷属級を直接調べて、害意有る存在ならば
闇に葬って、時間を稼ぐつもりなのだ。
家族との夕食を終えて寝仕度の為に自室に戻った、アリシアは清楚な感じがする室内にて一人で悩んでいた。その悩みの内容はリリスから成人の儀を執り行う猶予として10年を言い渡された事であった。
「10年なんて、直ぐなのに…どうしよう……
サイは好きだよ…でも、私は手を繋ぐだけで満足なのに…
え、エッチな事をしなと駄目だなんて…う〜〜あ〜ふう…」
アリシアは、クマのヌイグルミを両手で抱きかかえながら、
薄いピンク基調のキングサイズのベットの上で足をバタバタしながら如何するべきかを考えていた。
アリシアが横になっているベットは、今年に入ってからリリスの手によって、どのような場面でも困らないようにキングサイズのベットに換えられた物だ。もちろんリリシアもアリシアと同じような年頃の時に、同じような出来事を経験している。
これは、レンフォール王家の通過儀式のようなものだ。リリシアは同じように与えられたキングサイズのベットを、リリスの期待通りの使い方をしている。
その、リリスの桃色の思惑が満ちたベットの上でアリシアは考える。
あの調子だと、近いうちにやらないと駄目だよね…はぁ〜
ママは…サイとの進展具合を絶対に聞いてくる! 尋ねてくる! 推してくるよ〜
やっ、やっぱりキキキ、キスからかなぁ?
ベットの上でクマのヌイグルミを抱きかかえながら、可愛らしくモジモジと体を捩じらせたり、ごろごろと転がったりする。キングベットの正しい使い方とは言えないが、アリシアなりにその広さを十分に活用していた。
サイが見たら、アリシアの愛らしさに悶えるであろう。
「手を繋ぐだけでもドキドキするのに…」
アリシアはサイの事を考えると、とくんとくんと鼓動が強くなるのを感じる。
彼女の強い思いは、少女の心に少しばかりの変革のきっかけとなり、
アリシアは、男性がもつ異性に対する心理について興味を持ち始めたのだ。好奇心の強い彼女は、心の中で膨らみ続ける関心を解消するために、ベットから降り立って母リリスの元へと向かい始めた。
アリシアの心の中には興味と共に、サイが我慢しているのではないか…と不安が渦巻き始めていたのだ。
アリシアは母の自室へと到着した。
「あら、アリシアちゃん、この時間に来るとは珍しいわね」
突然のアリシアの来訪をリリスは笑顔をもって向い入れた。
娘を招きいれたリリスの格好は、肩紐からバストラインに流れるフリルと、裾のティアードが付いたセクシーなナイトドレスであった。フィッティングの良さも抜群そうだ。
同性のアリシアから見ても、色っぽいと思える格好であるが、そこには神々しい気品すら感じられる。これこそがアルマ教の教祖に相応しい姿とも言えるであろう。
室内のソファーに娘を座らせるとリリスは尋ねる。
「いったい…どうしたの?」
「ねぇ、ママッ…サイ位の年頃の男の子って…その…あの…」
アリシアは言葉を最後まで言い切れずに顔を真っ赤にした。
さらに、羞恥のあまりに、顔を伏せてしまう。
リリスはアリシアの言葉を受けて考える。
なるほど…アリシアったら同年代の男の子の閨事の経験を知りたいのね…
サイ君を男として意識し始めたのね♪
「閨事の事ね?」
「うん…」
「あの年頃なら、殆どが閨事の経験はあるでしょう。成人の儀を受けても問題ない年頃だし…
第一、若くて元気のある男の子を、他の女性達が放って置くとは思えないわ」
「そっ、そうだよね…」
アリシアは目の前が真っ暗になるような感覚に陥った。
それを見たリリスは次の言葉を直ぐに紡いだ。
「安心しなさい♪
大丈夫…サイ君は経験、未経験に関係なく貴方にベタ惚れだと思うよ〜」
「っ! ほっ、本当に…」
「ええ、過去にサイ君にアプローチを掛けた女の子は多かったわ…特にリリム達ね。
でもね、知ってるかしら?
彼はね…全部やんわりと断ってるのよ?」
「サイ…」
サキュバスを上回る魅力を持っているリリムの誘惑を耐えるのはとても大変な事なのだ。
アリシアは想い人の名前を呟く。
その呟きはアリシアの心の中にまで反響して、ゆっくりと優しく浸透するように心に響き渡っていく。
…サイ…
心に波立ち始めていた漣が安堵と共に静まり、変わりに暖かい波紋が広がっていく…
それは恋という名の魔法であった。
時として、言葉は如何なる力にも勝る…
アリシアにとっては、今がその時であり、娘の感情を察したリリスは慎重に
言葉を選びながら話していた。
彼女の教育の中で優れている点の一つに、
物事を説明する際に、良い点だけを告げず必ず負の面も伝える事がある。
今の会話のように一般的な平均を伝える事でアリシアの不安をあおり、タイミングを見計らって不安を取り除く会話も、リリスの教育の一つとも言えた。
更に、魔王の娘というネームバリューで大きな負担を与えないように気を付けている点だ。
リリスは、過度な期待という名の毒害のプレッシャーに包まれないように緩急を入れた教育を取り入れている。適度な挫折と成功という絶妙なバランスを的確にカバーするリリスの心配りが、そのような難事を可能にしていた。
『本当の成功とは、意欲を失わずに正しい方向に向けて失敗に次ぐ失敗を繰り返す事よ』
これはリリスの口癖であり、リリシアやアリシアが持っている前向きで強い好奇心も彼女の教育から得られたものかもしれない。今回の会話もリリスにとっては、教育の一環なのだ。
リリスは、妙な暴走が多いが、間違いなく母親としては最良の部類に属するであろう。
娘の目を見ながらリリスは諭すように言葉を続ける。
「彼はね…貴方しか見てない。ふふっ、羨ましいわ…
私だってサイ君を愛人にしたい位に可愛いのに〜」
「ママァ〜」
「冗談よ♪」
リリスは表情をコロコロ変える娘を優しく見つめながら思った。
アリシア…サイ君のような男の子はなかなか居ないわ…
しかも同属よ!
ほんとっ絶対に逃がしちゃ駄目よ?
リリスは娘に対する一つの小さな贈り物を思い付いた。
「せっかく来たんだから、葡萄酒でも少し飲んでいきなさい…
ほんのり甘くて美味しいものがあるわよ?」
「ありがとうママ!」
「今用意するわね」
リリスは自屋の片隅に有る、魔石によって温度調節がなされている、小さなワインセラーから一本のビンを抜き取って、用途に合わせて作られた壁面収納家具のリブレリアまで持っていく。リブレリアの一角に作られたガラス張りの扉を開けて、クリスタルガラスで作られたワイングラスを二つ取り出す。
「どのくらい飲む?」
「うーん…じゃあ、半分くらいでお願いします」
「判ったわ」
リリスは慣れた手つきで二つのグラスにワインを注いでいく。注ぎ終えると、片方をアリシアに渡し終えると、リリスは右手でグラスを優雅に目の高さまで上げて、アリシアに対してアイコンタクトで乾杯を行った。
リリスとアリシアはワイングラスを口につけて、中に注がれている葡萄酒を飲んだ。
「どう? アリシアちゃん、このお酒はなかなか美味しいでしょう?」
「うん…しつこくなくて喉越しも…美味しい…です」
この葡萄酒はリラックス効果と疲労回復の効果があるものであった。
リリスの諭しとお酒によって、アリシアの精神は程よいリラックス状態になった。
気持よさそうに葡萄酒を飲む娘を見てリリスは心の中で、どんな手を使っても、民や娘達が平和に暮らせ
る時間を稼がねば為らないと思った。
この日を境にして、南方諸国は戦争の道へと進むことになるのだった。
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