■ EXIT      
運命の日運命の時

≪訪問者≫

「ご無沙汰いたしております、中将閣下」
黒い服を着たほっそりとした女性の、静かな声。

「ああ、久しぶりですね。よく来てくれたわ」
シーナ中将は、いたわりをこめた声で、彼女を迎え入れた。
「いいえ、恥をさらして生きながらえています。」
シーナは何も言わず、ただ、いたわりと慈愛を込めた目で彼女を見た。

だが、彼女にはもう、見返す眼はない。
不吉なまでの漆黒のサングラスと、おびただしい傷に覆われた顔、もとは美しかったであろうその美貌が、さらにその傷を凄惨に見せている。

ERの医療技術は世界最高水準であり、どれほどひどい傷跡でも、彼女のように骨格がしっかり残っている限り、跡形も無く再生ができる。
眼球すら本物とほぼ変わらぬ視力さえ復活できる。

だが、彼女はそれを望まなかった。

失明も、傷も、その心に残された絶望に比べれば、むしろ彼女を安らがせるもの。
すなわち『贖罪』。

「あの方は、ご壮健ですか?」
「ええ、とても幸せそうに生きているわ。」
それが、自分の娘に言う言葉だろうか?。



今日も、イリナはミュルスの館に立つ。

純白のドレス。
無垢と純潔を意味するはずのそれ。
その姿は、恐ろしく美しく、気品がある。

それゆえに、無数の男性が群がり寄る。
それゆえに、無数の男性がイリナの夜を買いあさる。

幸せそうに、彼女はキスをし、訪れる快楽への期待に、美しい柔肌を濡らす。 生き生きとして微笑み、無数の男性をとりこにしながら、彼らの陰茎を限界までそそり立たせる。

好意を向けられたドレスのすそは開かれ、求められるままに、恋を求める男に乳房を晒し、這い登る指先に快楽の波におぼれ、舐めまわす舌先に好奇の波に飲まれ、濡れた秘門は、脈打つ肉欲に押し広げられていく。

今日も、明日も、明後日も、永遠に続く命とともに、数限りない男性を受け入れ、その性欲に貫かれ、快楽と痙攣がほとばしる精液とともに達していく。おびただしい精液に膣の底まであふれさせながら、入れ替わる男性たち、求められ続けるイリナ。

彼女は嬉々として、子宮の奥に刻印された欲望に、永遠の囚人として尽くし続ける。

それしか、生きるすべの無い娘。



愛し抜きながら、悲しい声。
その女性は全身を耳にするように、『ええ、とても幸せそうに生きているわ。』 そのたった数語の中にある音のすべて、声の色、響き、呼吸、その全てを聞き取り、シーナが込めた全てを理解する。

いかなる嘘も、いたわりの偽りも、全てを裸にし尽くし、真実のみを理解する耳だ。

それゆえに、シーナは真実全てを語るしかない。
「ありがとうございます・・・・。それだけで、十分です。」


盲目白髪のエルフは、それだけを言うと、静かに退室した。
アーデマイン・ビュフォルセルス、かつて「白の魔女」と呼ばれ、ER圏で最も高名だった魔法使いの一人。そして、イリナ・ラングレーの幼少期の指導者だった女性。

シーナは鉛のように光の無い目を上に上げる。
光を閉ざした部屋で、呪わしい運命の日を思い浮かべて。


≪運命の日≫


イリナ・ラングレーの、幼少期の記録はほとんどが抹消されている。
時の流れの中で磨耗したように、あらゆる記録がかすれ、破れ、あるいはそっくりと紛失している。巧妙に、狡猾に、ある強固な意図を持って消されている。

ラングレー家は、その財力を傾けんばかりにして、そのすさまじい作業を行い続けた。 それは同時に、イリナがどれほどラングレー家にとって重要だったか、彼女を愛し、そして重く受け止めていたかを示すものだ。

アーデマインが彼女の指導者だった。その一点だけでも、イリナがどれほど容易ならぬ存在だったかが分かる。彼女を招くことは、一国を傾けても不可能。ただ、彼女から認められた者だけが、その貴重な時間と力を授かることができる。
これまで、彼女の弟子は5人。その4人までが時代に名を残す存在になっている。

どのような時間が、アーデマインとイリナの間にあったのか、それを示す資料は何も無い。


魔法は、未だ謎に満ちた恐るべき密林に等しく、あるいは、目に見ることのかなわぬ深海の闇にも似ている。
科学は進歩し、魔法はすばらしい体系が生まれ、両者は手を取り合って踊るように時代を刻んでいる。しかし、踊り手の男と女が、決して相手の全てを理解することが無いように、すばらしい時代を築きながらも、その真の姿は相手には最後まで理解できそうに無い。

アーデマインほどの魔法使いにしても、魔法の真の闇は、時として恐るべき存在だった。

今なお、アーデマインが夢に見る。
美しい肢体をわななかせ、細いのどをあえがせる。
苦しみと後悔の涙と、舌を噛まんばかりの絶叫、柔らかな乳房に、幾度も爪を走らせ、血を流す。
シーツを噛み裂き、白い裸身をつめたい汗にまみれさせて起き上がる。

あの時なぜ、私は・・・・



穏やかな日差し、美しい花園。
そして、その花すらも輝きを失いそうな、たおやかで美しい少女。古典魔道書の最も難しいと言われるラテニスティア言語を読みながら。アーデマインと静かに並んで座っている。

その少女は見るものの魂を奪うような美に、巨大な霊山のごとき力と位をその魂に持っていた。わずか12歳の少女が、まるで水を吸う花のように、らくらくとラテニスティアを理解し、吸収していく。
教えるものの至福が、ほんのわずか彼女の自制を緩めたのだろうか。危険な領域までも、その本が進んでいることに、ふと気づいた。
だが、12歳の幼い少女が、その全てを理解するというあまりに想像を絶した事態は、神ならぬ彼女に求めるのは酷というものだろう。

『飛べたら・・・いいな』

少女の心にふと起こった思い。
天地があらゆる罪を許し、風がどこまでも運んでいくような優しさを表す。

星が、静かに時を刻み、そして針が静かに重なる。

その日、アーデマインはイリナに日食を見せたくて、外での授業をしていたことを思い出す。日がほんの少し翳ったように光を落とす。
太陽を見ると、今まさに重なり合おうとする月と日。

目をイリナに戻した。

イリナが何かを唱えていた。
完璧に、たった今まで読んでいた、ラテニスティア言語!。

その意味が、アーデマインを戦慄させた。

イリナの細い姿が、光った。


グワアッ!!!!


超新星のような輝きが、王宮の裏庭に炸裂し、地震のような地響きが轟く。

巨大なクレーターと、ずたずたになったアーデマイン。本能的に張っていた魔法障壁で、命だけは取り留めたが、大型爆弾の直撃すら耐えられるはずの障壁に、どれほどの力を受けたのか。

ラテニスティアの魔力が、日食という日と月の力を同時に引き寄せる時に発動し、王宮という守護の力を張り巡らせた結界に連動した星の力までが全てイリナの元に集まった。 戦術核の数十倍の力、それが彼女の『飛びたい』という純粋で幼い思念の元に。
純粋ゆえに、飛ぶことのみに集中した力・・・安定と制御に欠けた力。

それは、運命の時。

誰にも避けることも予測することもできない、それゆえにそれを『運命』という。
イリナが読み解いていた魔法書は、まさに空間移動呪文の書だった。

これ以後、3年半にわたり、イリナの姿を見たものは誰もいない。
ただ、大きな病気で静養中という、偽りの情報のみが言われ続けた。
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