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建国戦記 第16話 『第四次計画 後編』


会議の内容は織田家への支援内容へと移る。ただ優れた支援を与えるのではなく、創意工夫に繋げて欲しい意味合いもあったので、それなりの配慮が必要だった。具体的な例としては装備が挙げられる。領内で生産や整備が行えない装備は扶桑連邦の支援がなくなった瞬間に陳腐化する運命だからだ。扶桑連邦の理想としては装備の自力生産及び、改造が行えるぐらいの技術を求めていた。

「30式小銃は織田家では試作品レベルであっても生産は不可能です。
 そこで彼らの技術水準でも生産可能な銃が必要です」

「マッチロック式が無難じゃな。
 名称としては零式火縄銃かのう」

マッチロック式とは史実では種子島と言われた火縄銃の系列に属するものだ。この世界では真田が言うように零式火縄銃と呼ばれるだろう。零式は扶桑連邦で採用している暦である   皇紀2200年(西暦1540)に現地の技術水準に合わせた輸出用として旧装備をリファインして作られた設定があったものだからそのような命名になったのだ。火縄銃と言ってもこの時代の水準からして大きくかけ離れていた円錐弾の採用したものになっている。

もっとも、30式小銃ではなく零式火縄銃の量産ですらも織田家は相当な苦労を払うことになるとなると真田は予見していたが、技術発展の道のりとして避けられないものとして割り切っていた。苦労せず与えられるまま身に付けた技術は応用へと昇華し辛いものだからだ。また、火縄銃なら高品質なものでなくても正しい手入れと使い方を行えば暴発率を低く抑えられるのも大きい。5発射撃したら銃を冷やし、必ず掃除するなど。

「では火縄銃を此方で10丁ほど彼らに供与して、
 自力生産を薦めるように  促してみましょう」

回りくどいやり方だが、近い将来に火縄式小銃から30式小銃を目指して改良し続けて欲しい願いが込められていた。もちろん、零式火縄銃に関する設計図は各部品を含めた製造に必要なものは扶桑連邦が用意する。

「野砲はどのようなものになりますか?」

「レフィエ75o砲を再設計したものが良いじゃろう。
 あの系統ならば技術的に参考になるものが多いからな」

レフィエ75o砲は1873年にフランス陸軍に採用された後装式施条砲で隔螺式の尾栓という当時としては先端的な機構を採用していた野砲である。青銅製としても生産されていた実績があったので選ばれていた。鋳造技術としては鉄よりも青銅のほうが容易く、低い技術でも肉薄な火砲製造が可能だったのだ。もっとも青銅製であっても、この時代では製造不可能な部品が多数あったが、真田としては技術的な参考品として使ってもらう事を目論んでいる。

――まぁ、カルバリン砲のような中口径前装式大砲から始めるのがよいから、
それらの設計図も渡しておくかのう。――

真田の善意が織田家如いては後の日本国の正規軍を火力至上主義へと推し進めていく事になる。同時に戦争における経済負担も増すことになるのだが。こうして戦場の支援攻撃に必要な砲に関してはレフィエ75o砲を再設計したものを零式野砲として売り渡す方針となった。

「車輌に関しては例の開発はどうなっていますか?」

例の車輌とは織田家に輸出するための車輌だ。車輌といっても装甲車輌や高機動車のような車輌ではない。第一、そのような高度技術の車輌を渡しても整備不良などで持て余してしまう。故に、技術力向上の意味も含めて、基本的な整備技術を有した者なら改造すら可能な単純な車輌が好ましかった。ゼロ式火縄銃と同じ発想だ。

「ほぼ完成したぞ。
 歴史文献を参考にしつつも、
 この時代でも辛うじて整備が出来そうなものになっている」

「かつての日本で大活躍していたオート三輪ですね」

オート三輪とは、原動機と繋がった前輪が一つ、後輪は無動力の二つからなる貨物自動車の一種である。軽便でかつ安価でありながら、狭い路地でも小回りがきくうえ、丈夫で修理しやすい悪路と過積載に強い三輪トラックであった。ただし真田が作成したのは車体フレームをパイプフレームで構成して、差動装置のような装備を省いた単純な構造な構造で整備が行いやすい車輌になっている。エンジンも空冷サイドバルブ単気筒・2気筒の簡単なものなので適切な運用を行えば50年は持つものだ。扶桑連邦が整備機材を輸出すれば問題なく運用できるだろう。初期型のオート三輪ならば修理方法さえ判れば農業国であってもそれなりの運用が可能だ。扶桑連邦としては時間が掛かっても良いので日本側でオート三輪の模造品や改良品が出来ればより良いと考えている。もちろん原動機の製造は簡単には行えるとは思っていないので、当面は蟹江に扶桑連邦系列の工場を建設して織田家側が対応できないものの部品製造や修理に対応していく。

燃料に関しては扶桑連邦がバイオ燃料を輸出するが、樺太などから代用となる石油を産出すると伝えて領土拡大を促進していく。まともな支配者ならば全ての資源を輸出で補おうとしない点を突くのだ。石油の採掘と精製にも相応の技術力が必要だが、それは時間と共に日本ならば乗り越えられる障害と高野たちは認識している。

ともあれ、扶桑連邦が織田家に提供していくオート三輪は零式自動三輪と名付けられ、零式火縄銃、零式野砲と合わせて、後に欧州諸国の歴史教科書では脅威(諸外国水準)のゼロと書かれるようになる。

「当面は原動機などの整備は私たちが行いますが、
 どのくらいで彼らが自力で整備が出来ると思いますか?」

「そうじゃのう…
 設備を与えて教育を行えば5年位だが、
 それだと当面は我々に負んぶに抱っこになるだろうな。
 だが、知識だけ与えて挑戦させれば20年ぐらいで物にするかもしれぬ。
 最初は粗悪品でも試行錯誤を経て徐々に進歩していくじゃろうて」

高野は真田の言葉に満足な表情を浮かべてありがとうと応じた。少しづつ前に進むことが可能ならば選ぶ手段は後者の方が彼ら自身の為になる。技術開発で試行錯誤の経験は後の糧に繋がるからだ。全員一致で織田家への装備関連の支援は後者の方向性へと調整して進む事になった。

これらによって織田家の戦力価値は高まっていくが、それと並行するように兵站への負荷も増していく。実のところ、高野たちは戦国時代より進んだ兵站学的な経験を織田家に実体験して欲しい狙いもあった。織田家は一部とはいえ進んだ軍備に触れていくことで補給物資の生産準備、兵站線の維持など補給戦を否応に理解していく事になる。

装備の話がある程度片付くと、次は内政と戦争に共に必要な地図の話に移行していく。この時代の地図は曖昧で頼りないからだ。

「指示通りに城などの情報は意図的に削除しておいたが良いのか?」

「全て完璧な地図を与えてしまっては、
 実践躬行が行えなくなります」

完璧な地図は渡さない。織田家に渡す地図は関東、尾張とその周辺、そして日本の海岸線と主要な山脈と大都市の位置ぐらいが記されたものだ。完璧な地図を渡してしまえば地図を作成する努力を怠る事になるし、それは後の日本の統一政権が国土掌握の際に必要な技術が足りなくて大きな苦労を背負い込む可能性になるかも知れないからだ。

「確かにのう」

地図に関しては織田側には、扶桑連邦がかつてより展開させていた間者たちからの情報を元に作成したと伝えていく。否定しようにも、否定できる証拠が無いので真実として伝わっていく事になる。

「測量機材も渡すのでしょうか?」

「アナログのもので必要最低限のものは渡します」

異論は無かった。この時代の地図は曖昧すぎて軍事作戦で使うのには不確定要素が大きかったからだ。そして、予定通りとはMGRS(Military Grid Reference System)に基づいた地図を渡す。MGRSは1947年にアメリカ陸軍工兵司令部が考案したものが基礎になっており、それは全世界を10km四方を7桁、1m四方で15桁の精度を数値とアルファベットによって場所を特定できるものである。直交座標系地図という名称で広げていく。

また、地図に加えて方位磁針、軍事三角形分度器、軍事直角定規などの定規も供与する。これらを使えばアナログ手法であっても衛星を利用した測位技術に匹敵する制度で現在地点を知ることが出来る優れたものだ。欠点としては専門教育を受ける必要がある点だろうか。

「織田家は軍備強化の道が見えると、
 同時に近代化の試練に直面していくでしょうね」

高野が言うように既存の武家的な教育では、より高度な専門教育が必要だった近代化には対応できない。出来なかったからこそ、史実の各国の軍隊では騎士や武士などの存在が世界各国の軍隊から退いていったのだ。なにより、支配地域の生産力を劇的に上げなければ、扶桑式軍備の充実は不可能だった。生産能力を上げるためには、武士階級の枠組みを超えた幅広い層での教育が不可欠である。教育が行き届けば自然と中世的な統治が続けられない情勢になっていくし、それに応じた変化が必要になるだろう。結果として近代化が進められていく事になるのだ。

――色々と後押ししてでも、
彼らに国家統一と平行して近代化への道筋をつけて貰わなければ――

高野は温和な口調に反して、内心では決意を固めている。もちろん、高野は扶桑連邦の外圧によっての近代化ではなく、自らの意思と決意による近代化を心より願っていた。そして織田家ならば多数の困難に見舞われても乗り越えていけるだろうと手ごたえも感じていたのだ。

「まあ、焦らずゆっくりと見ていこうじゃないか。
 最も遅い流れであっても、マシな方向に程度に落ち着くじゃろうて。
 結果として信長にも余裕が生まれてくるじゃろう」

真田の言葉に全員が同意する。最も小さな結果であっても数年は先に進めるだろう。信秀の時代で織田家を史実よりも大きくなって、信長にもう少し選択肢のある環境を用意すれば、より余裕をもった人格形成になるだろうと予測していた。史実の行いを見ると信長は非情な面もあったが、それは残忍な性格というよりも必要に応じた非情さの面が大きい。それに信長は障害者である山中の猿のような人たちに援助を行ってあの時代に生活保護のような物事も行っていたので、人間として尊い心を持っていたことも確かであった。

故に自分たちの助力により織田家が安定して行けば信秀が近隣勢力と鎬を削るために割く時間を削減することが出来るだろう。信秀が信長との交流の時間を増やしつつ、必要な情報教育を施すことで信長の心の成長に良い影響になるように進めていく事も改めて確認する。結論としては、物資のみならず、情報や趣向品などの融通を進める案も立てられたこうして織田家に向けた物資・精神面への支援を含めた当面の大体の方向性が固まっていく事となったのだ。









高野たちが会議を進めている頃、観戦武官の勝家と秀隆は食堂の一角で、いくつかの書類と食堂で頼んだ二人分のお茶と団子が載っているテーブルに座っていた。勝家と秀隆は一時帰国に備えての意見合わせである。持ち帰るべき情報は多い。特に軍備に関しては最優先と言って良いだろう。だからこそ扶桑連邦軍に触れて扶桑式軍備の有効性を理解すると、それらの装備が追加で購入可能なのか、或いは可能だとしてもどれ程の値段なのかが気がかりになっていたのだ。追加と言うのは30式小銃に関しては10丁を200貫で譲り受ける契約を結んでいたのだ。1丁の価格が20貫なので史実における安定した時期の量産型火縄銃よりも5倍程の値段になるが、性能を考えると格安と言えるものになっている。輸送はどちらかの観戦武官が尾張に戻る際に行う手筈になっていた。2万発の銃弾がサービスとして付属している。

――兵士の訓練と弾薬の補充を考えれば、
訓練を考えるとせめてあと20丁ほど欲しいものだ。
もう少し安ければもっと大量に購入できたのだが――

と、勝家は軍備拡大について考えを巡らせている。

勝家は小銃を正面戦力としてではなく、保有数と武器価格の面から比較的安全に運用が行える突入時の支援攻撃を主眼とした運用方法を考えていた。高価な装備を戦場でいたずらに消耗しない配慮、訓練時間と必要な訓練費用から乱戦などには投入できない判断もある。消極的だが、それでも従来の戦力を大きく強化が行えるとこれまでの観戦武官の経験で確信していた。少なくとも自分だったら多数の30式小銃で狙われていると知ったら安易な突撃など行えないだろう。

秀隆も小銃の有効性に関しては同じ意見だったが、小銃どころか弾丸すら自作できない兵器の導入に不安材料があった。弾薬だけに絞っても簡単に自作できるような武器でないこともこれまでの情報収集で理解している。

織田家は小銃は少数の輸入を行って運用実績を考慮してから、自領での生産を試みて出来る限り安く済ませたいのが信秀の方針だった。実際のところ、購入してから工業力の問題からその試みが甘いものだと痛感させられるのだが…

だが、勝家らの不安は後に少しだけ解消される。

30式小銃の小銃弾は扶桑連邦が進めている計画によって格安で供与が決定していたのだ。また、この時代の日本でも製造方法さえ判れば生産が可能な零式火縄銃の供与計画も進められていた。

「小銃も必要だが、車輌も戦いの形態を大きく変えますぞ」

「確かにな…」

二人は車輌の利便性を十分に理解していたが、同時に不安もよぎる。扶桑連邦軍の装備は優秀だが、自分たちのみで維持が出来るかという点を考慮すると不可能としか思えなかった。小銃ですら手に余る装備なのに、それより高度な装備を維持できると思えなかったのだ。それだけの見聞は扶桑連邦に観戦武官として行動して痛いほど理解するようになっていた。欲を言えば工兵の育成も行いたいし、扶桑連邦からセメントを始めとした建材の輸入も進めたかったのだ。

「彼らの言うように整備兵としての訓練も必要か」

「武器だけでなく武器を維持するための兵士も必要なのか」

正面戦力を充実させるために、後方の兵力を整えなければならないジレンマに悩む。車輌を戦場に放置などはとても行えない。そして何より難しいのが人選だ。訓練には時間が掛かるし、それよりも戦場に出られない職務のみに励める武士などは殆ど居ない点であろう。戦場で武勲を立てることが出世の近道なのだ。左遷に等しい職務でありながらも、習得が困難ともなれば簡単に人員は集まらない。無理に選べば問題へと発展する。

「手間と金が問題だが、人選が難しい」

「しがらみがないのは農民ぐらいか?」

勝家は秀隆の意見に名案と思うも、
直ぐに表情を暗くして問題点を口に出す。

「農民に任せるにしても最低限の教育水準に達しなければ無理だぞ…
 まず整備兵の適正が見えるまで教育することから始めなければならない。
 そして彼らが活躍すれば、他の武士がやっかむ」

勝家の意見に秀隆からの反論は無い。腕を組み唸るようにして考え込む。厄介な問題だった。農民に任せるにしても教育水準を満たしていなければ整備兵として教育しなければ整備不良が頻発するだろう。整備不良どころか故障になりかねない。家を継げない武家の三男などに任せるにしても、やはり出世が難しい職務では士気を保つ事は難しいし、仕事の結果も満足な水準に成らないだろう。そして整備兵を褒めれば、前線で戦う武士から反感を買うのは火を見るより明らかだ。何より褒美に出せる金や土地にも限りがある。

――こうなると武士社会の仕組みが足かせに見えてきたぞ…――

戦うための集団がより高度な戦いへに至る状況の足かせになる。二人は冗談のような事実に唖然とするしかなかった。

「まずは装備の充実よりも戦える体制へと変えていくことが急務だな」

結論は出たが、明確な解決策が思いつかない。団子を食べてお茶を飲み、心を落ち着かせてから二人は結論を出す。その結論とは今は観戦武官として必要な情報を集めることに集中する事だった。現状で思い悩んでも自分たちに組織改革の権限が無いので出口が見えない問題に頭を悩ますよりも、扶桑連邦の情報を一つでも多く持ち帰ることに注力したほうが建設的だと割り切ったのだ。

「我らが考えなくても、
 殿が名案を考えてくれるだろう」

「そうだな。
 下手に先走っては問題になりかねない」

勝家の言葉に秀隆は同意を示す。何より、武士を使わない軍備拡大は武家社会に対する疑問や如いては否定とも見られるだろう。そのような考えが無くても、敵対する武士などに勘繰られて御家を危うくしては本末転倒である。だが、後に彼らは改革の当事者の一人として動くことになるとは、この時は予想だにしなかった。
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【あとがき】
大々的な改革は直ぐには行えませんが、
すこしづつですが織田軍の強化も進んでいく事になります。

意見、ご感想を心よりお待ちしております。

(2019年04月07日)
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