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建国戦記 第05話 『上陸作戦 後編』


1538年9月5日

部隊が上陸を果たしてから5時間が経過しており、現状は大きく進展していた。LCACによって上陸部隊第二陣が上陸を果たしつつある。上陸部隊第二陣は兵員と僅かな車輌を搭載していた。これ以後、当面は軍事作戦に於いてLCACによる上陸作戦は行われない。機密保持の面から夜間にしか利用できない点が理由ではなく、LCACは最大速度で航行すれば1時間に3785リットルの燃料を消費するという、一般的な乗用車の約1095倍に相当する燃料消費が理由だった。LCACは航行中は常に圧縮空気を噴き出し続けてホバリングを行う必要性から、膨大な燃料消費量が必要になり、これの運用を行うだけで燃料分配に大きなしわ寄せが出てしまう。

このような燃料の大盤振る舞いは、
補給体制が確立するまでは当面は行えない。

上陸部隊第二陣の再編成を黒江大佐が進める中、須賀湾岸基地の司令部施設で高野とさゆりが、司令室中央に設置した電子作戦台を見下ろしている。この電子作戦台は天津風で使われていたものだった。基地で使う発電システムには天津風の機関で使用していたIPS(統合電力システム)を転用しているので十分な電力を確保することが出来ている。

電子作戦台には下総国の高精度縮尺地図が表示されており、作戦が順調に推移しているのが判るだろう。既に須賀湾岸基地から1.8km先にあった馬加城の制圧を終えており 、南南東約15kmにある小弓城に対しても別の部隊が攻撃を始めようとしていた。重装備の兵士が夜間でかつ不整地を進む速度は、並みの路外昼間の行軍を凌駕している。生身の兵も混じっていたが、それでも鍛え抜かれた体と、暗視装置を始めとした優れた装備が、このような偉業を成し遂げていた。

「現在のところは大きな抵抗はないようだな」

「はい。
 彼らは常備軍ではないので、
 戦うにしてもまずは動員から行わなければなりません」

小弓軍は北条軍との戦いに備えて兵力の増強を始めていたが、まだその数は多くは無い。僅かながらだが正式な家臣として登録された足軽も存在していたが、これらは少数に留まっている。何しろ徴兵を行おうにも9月は稲刈りの時期であり、農民にとって最盛期だったので稲刈りを終えるまでは大規模な徴兵を控えていた背景があった。

故に動員をかけても編成を行わなければ、
戦力としては期待は出来ないだろう。

足軽の中には出稼ぎとして行う者も多かったので、装備にも皮革や和紙を漆で固めた陣傘、鉄や革の胴鎧や籠手とばらつきがあったし、それらを十分に保持していない者も居た位だ。必要物資の手配も現代と比べて時間が必要になる。

「指揮系統を徹底して叩けば、
 結果として犠牲は最小限になる」

さゆりは高野に同意を示す。近代軍でも司令系統を叩くことが効果的だが、それは歴史を遡ればより顕著になる。そして中世では家を継ぐことは一大行事であり、色々なしがらみもあって安易に決められない状況が多い。足軽に対する命令系統は、総大将を頂点に侍大将、足軽大将などを幾つかの階層を経て足軽衆へと下っていくので、上層部を叩けば効果は大きなものになるだろう。これらの事から連邦軍の作戦は下総国の一部(千葉県北部)、上総国(千葉県中部)の制圧作戦では相手側に動員を行う余裕を与えずに畳み掛けることだった。

「回収作戦はどうだ?」

「あと5分で作業を始められます」

回収作戦とはカオリ少佐が馬加城の制圧と同時に進めていた、彼らが合戦に備えて集めていた物資を押さえる任務だ。小弓軍が戦争に必要な兵粮や資材などを人夫・駄馬からなる小荷駄隊(こにだたい)で行軍路の城・砦に予め兵糧を貯めていたので、物資量は普段より多くなっていた。これらの物資は、扶桑連邦にとって大きな助けになるだろう。

意外と思われるだろうが、足軽は徴収された者でも概ね1日に5合ぐらいの米が支給されるので、白米を食べるために足軽になるものが居たぐらいである。そして動員を終える前に制圧を狙っていたのも、合戦用に用意した物資を目減りさせない為でもあった。小弓軍が動員可能な兵力は大体5000人であり、動員を許してしまえば彼らだけでも1日に3750キロの米を消費させてしまう。軍事行動は1日や2日で終わらず、それに応じた物資が消費されると思うと無益な消費の前に掌握できたのは幸先が良い。

「物資の移送に関しては、
 第二陣から必要な分を回してよいと通達せよ。
 城下町の治安維持部隊の編成も頼む」

「早速手配します」

さゆりは間を置かずして手配を進める。複雑な計算を瞬時に済ませられるのも電子知性体の特性だった。馬加城は下総千葉氏第24代当主の千葉昌胤(ちば まさたね)が密かに狙っているのを知っていたが、高野は問題が発覚する前に千葉氏を制圧する計画を立てている・それは城や砦だけではなく、下総国千葉郡にある荘園「千葉荘」にも別働隊を差し向けていた。どのようなものでも拠点になりうる場所は見逃さない。

そして、馬加城の城下町は1455年の大火、その後の戦火で小さな規模に縮小していたので治安維持部隊は小規模なもので十分だった。

「書類の方はどうか?」

「はい、制圧と平行して書類の押収も遅滞無く進んでおります」

探していた書類は土地台帳、手紙、家臣の名前を記した書類である。土地台帳に関してはこの時代の調査はかなり甘いので参考程度にしかならないが、それでも情報としては参考にはなるし、調査を行うまでの繋ぎになった。大名や家臣の手紙は交友関係などが判るし、逃がした際の逃亡先の割り出しにも使える。貫高制や寄親寄子制を採るにしても、家臣団の構成を記した種類は必ず存在していた。それらを押収することで、組織の全貌解明を行って予防措置の選定を行う。一門衆、一族衆、譜代衆の情報入手を優先している。

「引き続き作戦を継続しよう。
 それと第一陣部隊の交代も順次進めてくれ」

「了解です」

こうして、連邦軍は上陸部隊第二陣の再編成を行うと、作戦方針を夜間奇襲から昼間奇襲へと切り替えたのだ。作戦地域に該当する街道を封鎖して情報封鎖を徹底的させていた。 高高度からのUAV(無人航空機)による赤外線センサで人々の移動は夜間であっても見逃さない。拡張スプーフィング対策を兼ねた赤外線顔認証技術を用いた顔認証追跡システムによって戦域全ての人々は追跡対象になっていたので、逃亡して潜伏しても発見が容易だった。これまでの履歴を遡ることで協力者や関係者を調べるのも役に立つ。

洋上輸送には峯風型海防艦の「峯風」「澤風」「沖風」の3隻が本格的に参戦していた。

このように高度な戦術とテクノロジーに支えられている連邦軍は確実に制圧地域を拡大して、敵が組織的な反応を行う前に各個撃破を成し遂げていく。




1538年9月26日

上陸してから3週間、連邦領の広さは現代の感覚で言うならば幕張を中心に西は船橋、北は豊かな自然を有する小野田町、東は交通の要衝である八街市と山武市、南は木更津市に及ぶ。要するに下総国の制圧と、下総国の一部を制圧していた。なにより重要だったのが、下総国の北東部にある犬若鉱山や、小櫃川などの砂鉄(磁鉄鉱)が採れる地域を確保したことだろう。最優先の攻撃対象だった足利氏、上総武田氏、千葉氏、臼井氏と彼らに組みする国人達は連邦軍の徹底した情報封鎖と圧倒的な機動力・火力の前に抵抗らしい抵抗すら行えずに制圧となっていた。安房国にある里美氏の勢力も上総国にあった万喜城は制圧済みだ。

これで扶桑連邦は約19万5000人の民を掌握したことになる。

足利義明は討ち死にし、上総武田氏、千葉氏、臼井氏は捕縛となって降伏文章に署名後した後に開放となった。降伏文章の内容は人や土地を支配する権利である下地進止権を扶桑連邦に割譲し、代初めの徳政令で住民や商人の借財を棒引きすることだ。希望する者は給金による登用も示したが、応じた者は僅かであり権利を奪われた者たちは大半が北条氏や里見氏を頼って落ち延びていった。降伏したものを皆殺しにするのは文明的ではない事と、これは隣接する勢力に対するメッセンジャーとしての意味も大きい。

メッセンジャーといっても彼らが伝える事が出来るのは未知の存在という事だけであろう。組織的な抵抗をする前に制圧されてしまったし、火薬を用いた銃器という武器の概念はまだ日本には広まっていない。火縄銃からして1543年9月23日に伝来するので仕方がないことであった。強いて類似品を挙げるならば中国で10世紀頃に使われた世界初の火薬兵器の「火槍」が近いだろう。

高野としては、それで十分だった。常識的な判断を下す指導者ならば未知の相手に大々的な攻勢は行わない。敵の理性に期待した戦略だが、歴史から見る北条氏の人なりから間違いではなかった。

「新通貨の浸透はどうか?」

「良好と言ってよいでしょう」

須賀湾岸基地の司令室中央で書類を読んでいた高野の問いにさゆりが応じる。 扶桑連邦は4日前から貨幣改革を実施していたのだ。

まず第一に連邦領内での公的機関に対して鐚銭(びたせん)の使用禁止を通達している。鐚銭は私的に鋳造されていた貨幣で非常に粗悪なものが多い。禁止といっても没収ではなく、希望する者は鐚銭5枚で関東で最も好まれていた貨幣である永楽通宝(えいらくつうほう)1枚との交換を始めていた。扶桑連邦が提供する永楽通宝は足利義明などを討ち取って没収していたものが主流だ。また、同時に新しい連邦通貨の投入も始めていた。

「商人は挙って両替に走っているからね」

イリナがにこやかに言う。
彼女も情報士官として通貨関連の計画に深く関わっていた。

「事前に割符の禁止を通達して置いてよかったわ」

「うんうん!」

割符(さいふ)とは鎌倉時代から遠隔地の間で金銭取引などの決済に用いられた定額為替手形である。10貫文の割符を持ち込まれても扶桑連邦の国威が知られていない現状では、変換を拒まれる可能性が高いからだ。

「鐚銭の回収は予想以上に進んでいるようで何より」

「瑞穂商店、様々です」

さゆりが言う瑞穂商店(みずほしょうてん)とは、高野はるな少尉が経営を始めた商店であった。"はるな"は"さゆり"を姉のように慕っている準高度AIの一人である。その瑞穂商店は日本産業複合体の構想の下で作られた商店の一つ。商業活動を通じて日本本土の経済活動を活性化させつつ扶桑連邦を支えていくのが目的だ。

瑞穂商店が取り扱う商品は、今のところ戦国時代においては戦略物資と言って良い「塩」「紙」、高級趣向品の「砂糖」、目玉商品として植物由来のバイオエンジニアリングプラスチックを用いたアクリルコップの「瑞穂水瓶」などになっている。塩は完全天日塩や天日塩を海水で溶解後に平釜で煮詰める平釜塩でもなく、ましては岩塩や湖塩でもない。 大鳳の核融合発電からもたらされる電力を活かして生産するイオン交換膜製塩法によって作るものだ。天候に左右されず、24時間製塩していられるため安価で多量の塩を生み出せるのが利点であった。史実に於いても日本が世界で行った食塩精製方法で作るのだ。システム自体も水を浄化するバイオプラント浄化設備の設計を多少改良するだけで作れるのも強みである。

そして扶桑連邦が鋳造していく新通貨とは、
1文銭、5文銭、10文銭、50文銭、100文銭、500文銭、1000文銭を指す。

当面は50文銭、100文銭、500文銭、1000文銭に注力して、資源の余裕が出来次第に1文銭、5文銭、10文銭の大規模生産を進める計画になっていた。両替によって回収した鐚銭は例外なく銅、鉛、錫に分解炉を用いた熱分解によって各資源に分けていく。融解温度は錫231.9°C、鉛327.5°C、銅1085°Cであり、それぞれが難溶解性物質ではないので原始的な機材でも可能だったが、最終的に精巧な加工が必要なので海防艦を用いて大鳳へと持ち込んでいる。このように海防艦は大鳳との補給線を維持する為に活躍していた。

最初の新貨幣は艦艇を分解して資源に還元したときに獲ていた資源を使用して作られていたが、これからは回収した鐚銭も積極的にリサイクルして活用していく。

永楽通宝は直径約25mm、材質銅90.5%、錫5.4%、鉛4.1%(産地で不均衡あり)、重量約4.5グラムであったが、扶桑連邦が作った硬貨のサイズ、材質、重さは次のようになる。

1文銭は直径20mm、材質銅60%、亜鉛40%、重量3.2グラム。
5文銭は直径22mm、材質銅70%、亜鉛30%、重量3.75グラム。
10文銭は直径23.5mm、材質銅95%、亜鉛3%、錫1%、重量4.5グラム。
50文銭は直径21.0mm、材質銅75% ニッケル25%、重量4グラム。
100文銭は直径21.0mm、材質銅75% ニッケル25%、重量4.8グラム。
500文銭は直径21.0mm、材質銅72% 亜鉛20% ニッケル8%、重量7グラム。
1000文銭は直径21.0mm、材質銅62% 亜鉛20% ニッケル18%、重量7.2グラム。


非常に精巧な作りをしており、この時代の他勢力では模造は不可能と行ってよい。何より扶桑連邦にとって素晴らしい点が損耗の激しい永楽通宝や鐚銭を回収して再加工を行えば、通貨価値として倍増する点である。そして、瑞穂商店では連邦通貨しか取り扱っておらず、品物を購入するなら連邦通貨に交換するしかなかった。必然的に永楽通宝かそれ以上の通貨が集まることになる。

銀と金が一定量溜まったら、更なる高額硬貨を造っていく事に成るだろう。

大量の塩、杉原紙とは比べ物にならない高品質の紙、高級趣向品で滅多に手が入らない精製された白い砂糖、見たこともない透明の入れ物、これらは転売すればどれほどの富をもたらすか判らない品物だった。特に透明の入れ物の反響は大きい。史実ではビイドロやギヤマンと言われた本格的なガラス製品は16世紀後半に長崎にポルトガルやオランダから入ってくるものなので、現在では未知の製品と言っても良かった。

「廉価で作れる瑞穂水瓶の値段を125貫にしているから、
 売れればより多くの資源を回収が出来るから助かるわ」

1貫は1000文である。つまり商人達は連邦通貨を持ち合わせていない状態で瑞穂水瓶を購入しようとすると125000枚の永楽通宝が必要だった。必然的に高額硬貨への両替が進むことになる。瑞穂水瓶の入荷数を2つに絞って飢餓感を演出すらしていた。名茶器として名高い九十九茄子の初期作品よりはやや高いが、それでも類似品が無い希少性が価格の根拠になっている。原価を考えれば恐ろしい程に盛っている品物だろう。薬九層倍という言葉が相応しいかもしれない。ともあれ、塩は10合(1803.9グラム)で14文、砂糖は10合で9000文(黒砂糖の6倍)、紙は1帖(48枚)で80文などになる。瑞穂水瓶のような特殊な品を除けば、この時代の価格に合わせていた。

「だね〜。
 もう少し落ち着いたら砂糖菓子とかの嗜好品をより増やしていこうよ!」

「是非ともやりましょう」

さゆりとイリナは商品の話題で盛り上がっていく。女性らしく甘いものには目がない二人であった。擬体であっても人間と同じように、嬉しいことや甘い物を食べるなどを行うと、脳内で「β-エンドルフィン」という内生オピオイドの神経ペプチドが分泌され、幸せな気分になるのだ。この砂糖菓子などのスイーツ系の話題は次第に広まり、大きく盛り上がっていった。彼女たちの熱意も相まって、扶桑連邦がもたらす希少品の層をより厚くしていく。結果として短時間の間で連邦通貨の価値が高まっていくことになるのだ。

原材料を売るよりも加工品を売ったほうが利益が大きいのは世の常だった。

高野は砂糖菓子の話題が落ち着いた頃に次の報告に目を通す。
明るい未来を想像している分、皆の表情には希望が満ちていた。

「戦力強化も一先ずは順調か」

「大きな混乱は無く順調そのものになります」

戦力強化とは連邦軍に恭順を誓った人々の戦力化であった。戦力化の対象は、連邦通貨による日当40文の給与支給及び、食事の保障と宿舎住まいという好条件に惹かれて集まってきた志願兵達であった。編入先は新編成の歩兵第1連隊である。下士官クラスの人員に関しては、能力テストの結果経験から選定していく方針だ。階級は足軽大将、足軽番頭、足軽組頭、足軽物頭などの呼び方はせずに連邦軍の方式を採用する。ただし、彼らであっても武器に関しては当面は銃器の支給は行わず、従来と同じように刀などの近接武器になる。主戦力として活用するのではなく、しばらくは国境警備や治安維持要員として使うのが目的だ。僅かながらも登用に応じていた武士も居たが、彼らは面談と能力テストで振り分けており、文官寄りなら役人(代官)として官庁勤務に振り分けて、武官寄りなら将校候補として歩兵第1連隊の中に組み込んでいる。

「とりあえずは1200人ほどの兵力は得られそうだな」

「即席ながらも基礎訓練を行っているので、
 3週間後には最低限の水準に達すると思います」

現在の扶桑連邦には大増員を行っても受け入れ態勢が整っていないので、増員は1個連隊の規模に留める予定だ。訓練期間としては不十分だが突破戦力として特殊作戦群が存在しているので、連邦軍としては基礎的な部隊行動が可能ならば良いとしている。歩兵第1連隊の訓練には簡略ながらの読み書き計算と太陽暦の座学も含まれていた。これは後に連邦領で行う、「太陰太陽暦」から「太陽暦」への変更の予行演習を兼ねている。単純な兵力増強ではないので、ゆっくりとした足並みで進むしかない。

連邦軍の募集は今月末までだが、平行して勧められている開墾地の募集は続けられるのだ。こうして、扶桑連邦による安房国への制圧に向けての準備が着々と進みつつあった。
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【あとがき】
LCACはF2戦闘機を飛ばすような燃料を使うので、大規模な燃料生産が難しい現状なので、LCACは余裕が出るまで封印となるでしょう。というか、この時代では未開地に上陸するときしかコスト的に使い道が無いような気がします(汗)

商業用途のエアクッション艇が姿を消したのも相応の理由があったんですね・・・

(2018年09月09日)
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